※画像は全てイメージです。異なる時代のものが含まれている場合もございます。
64年間にも及ぶ長いヴィクトリア朝の時代は、アンティークジュエリーの中で特にデザインに大きな変化や多様性が現れた時代といわれています。
この時代に作られた宝飾品は総括的にヴィクトリアンジュエリーと呼ばれていますが、デザインや特徴などはそれぞれの時期によって細かく異なります。
今回は、ヴィクトリア朝に作られたジュエリーの特徴や素材の違いを、初期・中期・後期別にご紹介していきます。
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目次
ヴィクトリア朝とは
ヴィクトリア朝とはイギリスで、ヴィクトリア女王が1837年から1901年の64年間にわたり治世した時代のことを表し、ヴィクトリア時代と呼ばれることもあります。
長いヴィクトリア朝の間には社会や経済に大きな変化が起こり、ファッションやジュエリーにも多大な影響を及ぼしました。
ヴィクトリア朝ほど、ジュエリーに多様性が見られた時代はないといわれるほどです。
64年間に及ぶヴィクトリア朝は初期1837年~1860年頃のロマンティック時代(Romantic Period)、中期1860年~1880年頃のグランド時代(Grand Period)、後期1880年~1901年の耽美時代(Aesthetic Period)の3つに分かれます。
ヴィクトリア朝のジュエリーの特徴
ヴィクトリア朝(ヴィクトリア時代)のジュエリーは、初期・中期・後期それぞれの流行や社会背景によって、特徴が異なります。
前時代に始まった産業革命の影響で、中産階級の人々が生まれ、ジュエリーに対する需要が増えるとともに、全て手作りだったジュエリー製作の一部が機械化され、生産量も増加します。
また、1848年にアメリカ・カリフォルニア州で、1886年に南アフリカのウィットウォーターズランドで金鉱が発見されるなど、世界各地でゴールドラッシュが起こります。
金の供給が高まったことから、ジュエリーにゴールドが多く使用されるようになります。
1851年にはロンドンのクリスタル・パレスで世界初の万国博覧会が開催され、展示品の革新的なデザインが訪れた人々に大きな刺激を与えました。
このほか、遺跡の採掘作業が続いたことから、古代エジプトやギリシャ、エトラスカンなどを題材にしたデザインの流行も続きます。
愛する人への思いを込めたジュエリーも引き続き流行し、大切な人の髪の毛を編んでロケットに入れた「ヘアジュエリー」やメッセージリング、人物像を刻んだ「カメオ」などにも注目が集まりました。
フックにハサミや鏡をかけてベルトから下げるシャトレーンも人気のジュエリーアイテムとして多くの人々に愛用されます。
時期による特徴の違い
初期の特徴としては、ゴールドとシルバー素材を使用した自然モチーフの華奢でロマンティックなデザインのものが多く見られます。
アルバート公がヴィクトリア女王に蛇をモチーフにした婚約指輪を贈ったことから、蛇や蛇のモチーフのジュエリーにも注目が集まります。
中期にはアルバート公が亡くなったことから、ジェットやオニキスを素材にした黒いモーニングジュエリー(※)が流行します。
後期には自然をモチーフにした、より複雑でフェミニンなデザインが人気でした。
また、ヴィクトリア朝の人々は、昼間はシンプルで控え目な宝石、夜間はダイヤモンドやカラーストーンを配した手のこんだデザインのジュエリーを着けることが主流だったといわれています。
※モーニング=喪に服す
ヴィクトリア朝のジュエリーの素材
ヴィクトリア朝(ヴィクトリア時代)には金を様々な形に加工したもののほか、合金や人工素材なども多く使用されています。
宝石はジュエリーのデザインに合わせたものが選ばれ、カットや加工技術も時期によって異なります。
ヴィクトリア朝に用いられた貴金属と宝石を、それぞれの時期に分けてご説明していきます。
貴金属
初期(1837年~1860年)
ゴールドラッシュが始まる以前は金が不足しており、主にカラットの低い金や金メッキが使われていました。
ゴールドラッシュ以降は金の供給が増え、18Kが主に用いられるようになります。
細い金のワイヤーが頻繁に使われているのも、この時期のジュエリーの特徴です。
このほか、ホワイトゴールド以外の18K~22K、薄いシート状のゴールド・エレクトロ・プレート、基礎の金属表面に金の薄片をロウ付けして薄く伸ばしたロールド・ゴールドなども使用されました。
貴金属のほか、スチールを宝石のようにカットしたカットスチールや、ジョージ王朝時代に流行したピンチベック(銅と亜鉛の合金)の人気も続きました。
中期(1860年~1880年頃)
この時期は、主に9K~15Kのゴールドが人気でした。
また、1860年頃アメリカ・ネバタ州でシルバーが発見され、シルバーの供給量が上がったことからシルバージュエリーも多く作られます。
このほか、スティール、ロールドゴールドも使用されています。
後期(1880年~1901年)
ゴールド、シルバー、プラチナのほか、ロールドゴールドなどが用いられました。
スターリングシルバーを化学的プロセスで黒くさせた「いぶし銀」も使用されています。
宝石
初期
初期には、花や鳥などの自然モチーフに、ターコイズやコーラル、シードパールを配した繊細なデザインが流行しました。
ジョージ王朝時代から引き続き、宝石の名前の頭文字を並べた「REGARD」や「DEAREST」リングが流行したことから、以下の宝石も多く用いられました。
「REGARD」(Ruby, Emerald, Garnet, Amethyst, Ruby, Diamond)
「DEAREST」(Diamond, Emerald, Amethyst, Ruby, Emerald, Sapphire, Tourmaline)
この時期のジュエリーに用いられた宝石は、ダイヤモンド、クリソベリル、トパーズ、エメラルド、クォーツ、アメシスト、アゲート、カルセドニー、ガーネット、マラカイト、ターコイズ、アンバーなどのほか、アイボリー(象牙)、コーラル(珊瑚)、べっ甲、ラーバ(溶岩)などです。
中期
アルバート公が亡くなった後ヴィクトリア女王が喪に服すジュエリーを着けたことから、黒いジェットやオニキスが流行します。
1867年に南アフリカでダイヤモンド鉱山が開設され、ダイヤモンドの注目が高まり需要も増えます。
暗い赤色のガーネットのカボションは「カーバンクル」と呼ばれ人気がありました。
この時期流行した宝石は、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、アメシスト、オニキス、ガーネット、ジェット、ターコイズ、オパール、パールなどの他、アイボリー(象牙)、コーラル(珊瑚)、べっ甲、ボグオーク、ゴールドストーン(茶金石)などです。
後期
1879年に電球が発明され、電球の光によってダイヤモンドの輝きが増すことが分かり、ダイヤモンドが更に注目を浴びます。
アメジストやオパールなどのカラーストーンも普及します。
1886年にティファニー社がダイヤモンドを6本爪で高い位置で留めたティファニーセッティングを考案し、ソリティアリングの人気が高まりました。
この時期のジュエリーには、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、クリソベリル、エメラルド、アクアマリン、トパーズ、ペリドット、クォーツ、アメジスト、クリソプレーズ、ムーンストーン、黒ガラス、ターコイズ、オパールなどが使用されました。
ヴィクトリア朝のジュエリーのスタイル
ヴィクトリア朝(ヴィクトリア時代)のジュエリーのスタイルには、ヴィクトリア女王とアルバート公の愛の物語や、社会背景などが大きな影響を与えています。
この時代に代表されるジュエリーのスタイルを、3つの時期別にお伝えしていきます。
初期
ヴィクトリア朝初期は、18歳で即位した若いヴィクトリア女王と婚約・結婚したアルバート王子との愛を祝した、ロマンティックな時期です。
アルバート王子がヴィクトリア女王に贈った蛇をモチーフにした婚約指輪のデザインや、花や鳥など自然を題材にした繊細なデザイン、愛する人へのメッセージを込めたものなどが主流でした。
若い女王夫妻の愛の物語が、ジュエリーのスタイルにも反映されたのです。
ジュエリーは全体的に華やかな色使いで、フェミニンなスタイルが好まれました。
産業革命によりジュエリー製作の一部が機械化されたため、より安価で入手することが可能になった時期でもありました。
中期
アルバート公が亡くなり、深い悲しみを抱いたヴィクトリア女王が黒い装いに身を包んで喪に服します。
ジュエリーも黒で統一され、悲しみを象徴するスタイルがこの時期の特徴となりました。
また、古代遺跡の発掘が相次ぎ、古代エジプトやエトラスカン、ローマなどのリバイバルスタイルも流行しました。
後期
ファッションのスタイルに大きな変化が現れた時期です。
初期には機械化によるジュエリーの製作が盛んでしたが、後期になると逆に職人の手作業による作品への関心が高まります。
大ぶりの宝石は減り、それまでのスタイルとは異なる、軽くて小さなスタイルが流行します。
後期の芸術は「耽美運動」とも呼ばれ、1880年から1920年代に流行した「アーツ&クラフツ運動」へと繋がっていきます。
ヴィクトリア朝のジュエリーのデザイン
ヴィクトリア朝(ヴィクトリア時代)のジュエリーには、愛する人への思いを込めたデザインが多く用いられ、全体的に色とりどりのカラーストーンを配した、華やかでロマンティックなデザインが特徴的です。
ヴィクトリア朝に流行ったとされるジュエリーの代表的なデザインを、それぞれの時期に分けてご紹介していきます。
初期
この時期には、植物や昆虫などの自然モチーフに宝石を配した、華やかでフェミニンなデザインが流行しました。
ジョージ王朝時代から人気が続いた、REGARDやDEARESTリングは、宝石を横一列に配したり、花びらのように配したデザインが一般的です。
長いチェーンにスライドが付いたスライドチェーン、3石のペアシェイプの宝石をリボンモチーフから下に垂らしたデザインのジランドールなども流行しました。
中期
この時期のモーニングジュエリーは、ジョージアンジュエリーに多く見られるようなスカルや墓石のデザインとは異なり、亡くなった人への敬意を表すものが多く作られます。
ヘアジュエリーも引き続き人気でしたが、髪の毛を花柄のように織り込むなど、より繊細で複雑なデザインへと発展しました。
発掘調査が進んだことによる、古代エジプトやローマ、ギリシャ、エトラスカンを題材にしたデザインも再流行します。
ローマ時代に流行した、小さなタイルを埋め込んで絵画のように見せるマイクロモザイクも人気でした。
このほか、粒金や縒り線を巧みに取り入れた、古代エトルリアの金細工技術エトラスカンスタイルもこの時期のデザインの特徴です。
カボションの周囲に宝石を配したデザインや、大切な人が他界した日付を刻んだメモリアルジュエリー、幅の広いバングル、ロケットペンダントなども流行りました。
後期
この時期には小さくて軽い可憐なデザインが流行します。
女性がスポーツイベントに参加する機会が増えたことから、スポーツを題材にしたデザインも人気でした。
REGARDリングに代わり、ヘブライ語で「主があなたを守る」という意味をもつ「Mizpah(ミズパー)」リングが登場します。
Mizpahリングは2人の絆を象徴するものとして、愛する人へ贈られていました。
ヴィクトリア女王とアルバート公の長男エドワード7世の妻アレクサンドラ王妃は、首の傷跡を隠すため、パールを連ねた幅の広いチョーカーを着けていました。
これが犬の首輪に似ていたため「ドッグカラー」と呼ばれ、上流階級の女性達の間で大流行しました。
19世紀後半にかけて、ティファニー社が考案したティファニーセッティングにより、一粒ダイヤモンドリングが、より洗練されたソリティアリングへと変化します。
ヴィクトリア朝のジュエリーのモチーフ
ヴィクトリア朝(ヴィクトリア時代)のジュエリーでは、植物や動物など自然界を題材にしたものや、ハートなどのロマンティックなモチーフなどが人気でした。
幸運や愛を願うものや、愛する人への想いを込めたモチーフもジュエリーに多く用いられた時代です。
それぞれの時期に流行した、ジュエリーのモチーフを以下でお伝えしていきます。
初期
アルバート王子がヴィクトリア女王へ、尻尾を飲み込んだ形の蛇のモチーフにヴィクトリア女王の誕生石であるエメラルドを配した婚約指輪を贈ります。
蛇や蛇をモチーフにしたジュエリーは永遠の愛を象徴するものとして、この時期に大流行しました。
ロマンティックなデザインが主流だったこの時期には、花や葉などの植物やハート、矢、錨、十字架のほか、人の目や手、ラブノット(結び目)などがモチーフに使用されました。
宝石を配したハート型や花型モチーフを、両手の形に象ったモチーフで支えたものなども人気でした。
ヴィクトリア女王夫妻がスコットランドのバルモラル城を購入したことから、スコットランドの伝統を題材にしたモチーフも流行ります。
中期
この時期には花、ハート、どんぐり、星、鳥、蜂、鈴、十字架、三日月、モノグラムなどのモチーフが主流で、幾何学的模様が一般的でした。
古代エジプト、ローマ、ギリシャ、エトルリアから着想を得たモチーフやカメオも流行します。
後期
後期には、三つ葉、樫の木、樽、弓、星、三日月、フクロウ、動物の頭などがモチーフに用いられたほか、結び目、ホースシュー、四葉のクローバー、ウィッシュボーンなどのラッキーモチーフも人気でした。
王冠や結び目に2つのハートを合わせたものも、この時期のジュエリーの特徴です。
中期に引き続き、古代エジプトやエトラスカンから着想を得たものも流行しました。
このほか、東洋やスポーツを題材にしたものも使用されています。
最後に
社会的・経済的に大きな発展を遂げたヴィクトリア朝(ヴィクトリア時代)には、ジュエリーのデザインにも大きな変化が現れました。
ヴィクトリア朝のジュエリーは市場に出回っていますが、以前と比べると流通量も減少傾向にあるように思います。
美術館などに所蔵されているものも多く、品質や状態によっては驚くほどの価格で取引されるものもあるようですよ。
各時代別の特徴やスタイルをまとめた記事はこちら!
※画像は全てイメージです。異なる時代のものが含まれている場合もございます。
カラッツ編集部 監修