コ・イ・ヌールダイヤモンド|世界最古のダイヤモンドがもつ伝説と新たな説とは

コ・イ・ヌール(Koh-i-noor)は、世界で最も古く最も高い価値があるといわれる、伝説のダイヤモンドです。

現在は105.6カラットオーバルブリリアントカットとなり、英国王室が所有する王冠に配され、ロンドン塔に保管されています。

インドで発見されたコ・イ・ヌールがイギリスに辿り着くまでには、君主達の権力争い略奪などに巻き込まれ、数多くの伝説が現代へと語り継がれてきました。

コ・イ・ヌールにまつわる希有な物語と、最近の調査による新しい説、さらにコ・イ・ヌールの価値などについてお伝えしていきます。

コ・イ・ヌールダイヤモンドとは

出典元:https://www.smithsonianmag.com/

コ・イ・ヌールはインドで発見された、世界最古のダイヤモンドの一つとして知られています。

最初はおよそ187カラットであったそうですが、紛争によって多くの君主の元へ渡り、現在の所有者である英国王室へ贈呈された後105.6カラットにリカットされたと記録されています。

インドでは長い間、多くの君主による権力争いが勃発し、コ・イ・ヌールを含む宝石の略奪などが企てられました。

コ・イ・ヌールの隠し場所を白状させるために君主が拷問にあったり暗殺されるなどしたため、呪いのダイヤモンドとしても知られるようになったのです。

コ・イ・ヌールダイヤモンドの歴史

1526年にインドのムガール王朝の創始者バーブルによる自伝「バーブル回想」の中で、コイヌ―ルと思われるダイヤモンドについて初めて記述されました。

それによると、このダイヤモンドは1304年、デリー・スルタン朝の一つであるハルジー朝の3代目スルターン(君主)アラー・ウッディーン・ハルジーが南インドの王族を滅ぼした際に入手したとされます。

その後も王朝の君主によって引き継がれ、後に第一次パーニーパットの戦いで勝利を収めたバーブルに、大量の宝石と共に贈呈されます。

「バーブル回想」の中では、『8シュミケル(約187カラット)もあるこのダイヤモンドは、世界中の一日の蓄えの半分に値するだろう』と記述されていたそうです。

バーブルに捧げられたダイヤモンドを含む大量の宝石は、ムガル王朝の財宝となったのです。

ペルシャのナディル王の手に渡る

そして1739年、ムガル王朝7代目の時代にペルシャ(現在のイラン)のナディル王が侵略し、ムガール帝国が所有する多くの宝石を略奪しました。

しかし、噂の大きなダイヤモンドがありません。

ナディル王は、ダイヤモンドがムガール王が頭に巻くターバンの中に隠されていることを知り、仲直りの証にムガル王を宴に招待し、友好の印としてターバンを交換しました。

テントに戻ったナディル王がターバンをほどくと、大きなダイヤモンドがごろりと転げ落ちたのだそうです。

この瞬間、王が「コ・イ・ヌール(光の山)だ!」と叫んだことから、このダイヤモンドはコ・イ・ヌールと呼ばれるようになったといわれています。

こうしてペルシャ(イラン)王室が所有することになったコ・イ・ヌールは厳重に保管されたため、多くの盗難計画なども失敗に終わったそうです。

所有者に続々と起こる悲劇

コ・イ・ヌールを手に入れたナディル王は、1747年旅先から故郷ペルシャへ戻る途中で暗殺されてしまいました。

その後王位とコ・イ・ヌールを孫のルク王が継承します。

しかし、隣国のカブタリ王アガ・モハメッドが、ルク王が住む城を攻撃し、ルク王を人質に取ってコ・イ・ヌールの隠し場所を白状させるために、酷い拷問を与えました。

ルク王は両目を失明しましたが、決してコ・イ・ヌールの在りかを教えなかったそうです。

その後コ・イ・ヌールは亡くなる前にルク王を助けたドゥラニ・アフガン王国建設者に贈呈されます。

その後王位とコ・イ・ヌールは継承され、三代目のザマンの代の時、ザマン国王は実の弟に王位を奪われ、目をくり抜かれて牢獄に入れられてしまいます。

そして牢獄に隠していたコ・イ・ヌールも弟に奪われました。

君主となった弟王は後に戦争に敗れ、パンジャブ地方のシク王国へ亡命します。弟王が持ち出したコ・イ・ヌールはシク王国の君主の手に渡り王室の財宝として保管されました。

イギリス王室の所有になる

その後パンジャブは英国の支配下となり、コ・イ・ヌールも東インド会社を経て現在の所有者英国王室に渡ります。

ヴィクトリア女王に献上されたコ・イ・ヌールは1851年、大博覧会で展示されました。

当時のコ・イ・ヌールは186カラットの卵型をしていたそうですが、古いスタイルのカットであることから、輝きが十分に表現されていませんでした。

そのため、1852年に女王の夫アルバート公がアムステルダムのカット職人を宮廷に呼び、コ・イ・ヌールをリカットさせます。

40日近くが費やされた後、コ・イ・ヌールは105.6カラットのオーバル・ブリリアントカットへと生まれ変わりました。

ヴィクトリア女王はコ・イ・ヌールダイヤモンドを、ブローチなどとして着用していましたが、後にロイヤルジュエリーのひとつに加わっていくことになります。

コ・イ・ヌールは女王の長男エドワード王子の妻アレクサンドラ妃に贈られ、妃の王冠に配されました。

その後ジョージ5世の妻メアリー女王の王冠に配され、1937年にクイーンマザー(エリザベス女王の母)の王冠に配されたものが現在も引き継がれています。

現在この王冠はロンドン塔に厳重な警戒の下で保管され、王室宝飾品の展示室で一般公開しています。

コ・イ・ヌールダイヤモンドにまつわる新たな説

出典元:https://en.wikipedia.org/

長い歴史を辿ってきたコ・イ・ヌールダイヤモンドの伝説は、現代へと大切に引き継がれてきました。

しかし、最近出版されたコ・イ・ヌールに関する書物では、新たな調査による別の説について記述されています。

コ・イ・ヌールにまつわる伝説についての、別の視点からの説をご紹介していきます。

13世紀にインドのコラー鉱山で発見された

コ・イ・ヌールがいつ、どこで発見されたのかは、永遠の謎のようです。

インドでは、ヒンドゥー教の神の宝石であるとも信じられていました。

ただひとつ確実なのは、コ・イ・ヌールは鉱山で採掘されたのではなく、川に流れ着いたものなどが採取されたということです。

太古の時代のインドでは、ダイヤモンドは乾いた川床の沖積鉱床でのみ採取されていたからです。

インド屈指のダイヤモンドだった

ムガル王朝は、コ・イ・ヌールの他にも、世界最大のダイヤモンドのひとつ「ダルヤーイェ・ヌール(175‐195ct)」と、現在の「オルロフ(約189ct)」であると思われている「グレート・ムガル・ダイヤモンド」を所有していました。

これら2つのダイヤモンドとコ・イ・ヌールは、1739年のナディル王が侵略した際にすべて略奪し、インドを離れてペルシャへと渡っています

コ・イ・ヌールの名が有名になったのは、19世紀にパンジャブにたどり着いてからのことです。

このため、コ・イ・ヌールだけがインド屈指のダイヤモンドではなかった、というのが新たな説です。

ムガル帝国で最も貴重な宝石だった

ヒンドゥー教シク教では他の色石よりもダイヤモンドを珍重していましたが、ムガル帝国ペルシャでは、大きくて鮮やかな色石の原石をより高く評価していたそうです。

ムガル帝国はコ・イ・ヌールを始めとする数多くの宝石を所有していましたが、その中でも特に貴重とされていたのはコ・イ・ヌールではなく、アフガニスタンのバダクシャン産スピネルと、ビルマ産のルビーだというのが新たな説です。

ターバンに隠していた

1739年、ムガル帝国にペルシャのナディル王が侵略し、多くの宝石を略奪しました。

その際、ムガル王がダイヤモンドをターバンに隠している秘密を聞きつけたナディル王は、友好の印としてターバンを交換し、ダイヤモンドを手に入れたという伝説があります。

ある歴史家の調査によると、コ・イ・ヌールはムガル帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンの時代に作られた孔雀の玉の屋根にある、孔雀の彫像の頭に配されていたとのことです。

大きくてゴロゴロしたダイヤモンドをターバンの中に隠すのは無理だろうといわれています。

カットによりサイズが減少した

コ・イ・ヌールは、不器用なカットにより原石のサイズが大幅に減少したという話が伝わっているようです。

フランスの宝石商で旅行家のタベルニエの記述によると、ムガル帝国が所有する宝飾品を特別許可を得て見た際、ヴェネチア人職人による酷いカットが施された大きなダイヤモンドを見たとのことです。

しかし、あまりにもカットがお粗末なために、原石のサイズが大きく減少していると述べ、このダイヤモンドが「グレート・ムガル・ダイヤモンド」だと記しました。

「グレート・ムガル・ダイヤモンド」は後にロシア皇帝の笏に配された「オルロフ・ダイヤモンド」であるとの説が強まります。

ムガル帝国が所有した多くのダイヤモンドについては忘れ去られたため、コ・イ・ヌールがインドの大きなダイヤモンドの代名詞のようになってしまったのでは、というのが新たな説です。

フローレスのダイヤモンド

コ・イ・ヌールはカラーがDで、透明度がIF(インターナリー・フローレス)であるといわれています。

しかし、カットする前のコ・イ・ヌールの原石は、中心に内包物などがあったということです。

いくつかの黄色い斑点がセンターにあり、光の屈折に影響したそうです。

そういった理由もあり、ヴィクトリア女王の夫アルバート公はリカットすることを勧めたといいます。

ちなみに、コ・イ・ヌールは世界最大のダイヤモンドのランキングでは90位と、かなり下位の大きさになります。

コ・イ・ヌールダイヤモンドの価値

コ・イ・ヌールダイヤモンドの実際の価値は、明らかではありませんが、ある一例では、1500年代の1日の世界総生産コストの半分の価値があると信じられているようです。

長い歴史上で、コ・イ・ヌールは様々な王家への贈呈や略奪が繰り返されてきました。

しかし、値段が付けられて売買されたことは一度もなかったというのが、驚くべき事実なのです。

現在エリザベス女王の王冠に配されたコ・イ・ヌールは、イギリス王室が所有するダイヤモンドの中でも、最も価値のあるものの一つです。

ちなみに、イギリス王室が所有するロイヤルジュエリーは、合計で100億~120億米ドル(約1兆530億円~1兆2600億円)ほどの価値があるといわれています。

実際の価値が分からないものの、コ・イ・ヌールは2020年の世界で最も高いダイヤモンドのランキングで見事1位の座に輝きました

3位の「ホープ・ダイヤモンド」は、推定2億ドル(約220億円)~3億5千万ドル(約385億円)2位の「カリナン・ダイヤモンド」は推定で最高20億ドル(約2110億円)相当の価値があるといわれています。

ざっと見ても、1位のコ・イ・ヌールは、2位のカリナンを上回る20億ドル以上の価値があるということになるようですね。

最後に

歴史が古いことから、コ・イ・ヌールにまつわる伝説の真実は、謎に包まれたままのようです。

発見されてから紛争や略奪に巻き込まれ、多くの所有者の元を渡りましたが、現在は英国王室の王冠に配され、静かに世界を見守っています。

女王が身に着けて公の場に現れる機会があれば、ぜひその姿を拝見してみたいですよね。

カラッツ編集部 監修

<この記事の主な参考書籍・参考サイト>

『宝石と鉱物の大図鑑 地球が生んだ自然の宝物』
 監修:スミソニアン協会/日本語版監修:諏訪恭一、宮脇律郎/発行:日東書院
『宝石ことば』
 著者:山中茉莉/発行:八坂書房
◆『岩石と宝石の大図鑑』
 監修:ジェフリー・E・ポスト博士/著者:ロナルド・ルイス・ボネウィッツ 訳:青木正博/発行:誠文堂新光社 ほか
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https://www.bbc.co.uk/ ほか

▽参考書籍・参考サイト一覧▽