ジュエリーの土台と言えば、金銀、プラチナ、最近はチタンやタンタルなどのレアメタルも人気を集めています。
ジュエリーの魅力は宝石ありき!と思っている方もいるかもしれませんが、もっと地金の面白さに気づいてほしい!という思いから、今回はかつてゴールドの代用として用いられた、存在感抜群の合金「ピンチベック」についてご紹介したいと思います!
目次
真鍮でもブロンズでもない!金の代用ピンチベックってどんな金属?
ピンチベック……アンティークジュエリーがお好きな方なら、一度くらい耳にしたことがあるかもしれません。
そう、ピンチベックとは、18世紀に大流行した金色に輝く合金のことです。
宝飾史の中でもピカイチの存在感を誇るピンチベック。
ここではその特徴や開発された当時のジュエリー事情などを織り交ぜながら、ピンチベックの魅力について熱く語らせて頂きます!
時計職人クリストファー・ピンチベックが発明した秘密の合金
ピンチベック(Pinchbeck)はジョージアン期(1714年~1837年)初頭のイギリスで、クリストファー・ピンチベック(1670~1732)によって開発された合金です。
ジュエラーでも彫金師でもない、機械時計制作に長けた時計職人であったクリストファー・ピンチベック。
その彼が開発した不思議な合金は銅89%(または93%)、亜鉛11%(または7%)の比率で生成された(と思われる)合金で、その艶・色合いがまさにゴールドに瓜二つ!ということで人気を博しました。
開発された背景にあったもの
合金ピンチベックが開発された背景には、いかに少ない予算で見栄を張れるか!ということがあったように思います。
と言いますのも、ピンチベックが開発された頃は、金の品質管理が厳格に行われ、高カラットゴールドの利用しか許可されていませんでした。そのため手軽な価格でゴールド気分を味わえるピンチベックが生まれ、人々に愛されたのではないかと思うのです。
特に、その当時のイギリスでは、本物のゴールドジュエリーと「盗まれても泣き寝入りしない質のもの」を使い分けることが一般的でした。
故にピンチベックは後者の好例として、主にトラベルジュエリーや乗合馬車の装飾として利用されました。
(さらに、旅行先で「ゴールドに似た、こんな金属があるんだよ!」というアピール効果も加わり、人々の関心を集めたようです。)
配合レシピは一子相伝
ピンチベックの製法は、父クリストファーから息子エドワードへ伝承されたのみ。一子相伝のまさに企業秘!でした。
そのため、ピンチベックが多くのジュエリーや装飾品に使用されたことで似たような金属配合のエセ合金が市場に登場しましたが、ピンチベックのオリジナル製品と呼べるものは、ピンチベック家が制作したものだけです。
しかし初代クリストファーが開発し、息子エドワードの時代に大変な流行を見せたピンチベックは、エドワードの死後、その配合レシピも失われ、オリジナル製品が作られることはなくなってしまいました。
因みにピンチベックは、時代により「Tomac」、「Princes Metal」、「Mosaic Gold」などファンシーな別名も持ち、イギリス国内のみならず、フランスにも輸出され使用されていたようです。
ピンチベックとゴールドの見分け方について
自分の持っているアンティークジュエリー、または気になるジュエリーがゴールドなのか?ピンチベックなのか?知りたい方のために。
簡単な見分け方として、二つの違いを図る要素が以下の二つです。
- ジュエリーが制作された時期が1840年以前である。(1840年以降はピンチベックがジュエリー制作に用いられなくなったため)
- 自然光で金属を観察すると、ゴールド独特の輝きというよりも、銅特有の赤みを帯びたような輝きが見える。またへこみや欠け、緑化なども、ピンチベックのサインと言えますね!
しばしゴールドと思い込んでいた自身のジュエリーがピンチベックだった!と激昂する方もいます。
しかしアンティークジュエリーの価値は貴金属の値段によるのではなく、あくまでその作品の芸術的デザイン、センスや歴史に重きがあることを忘れないで頂けると嬉しいです。
アンティークジュエリーにおけるピンチベック作品例
ピンチベックが地金として使われたジュエリーを、その名前のままピンチベックジュエリーと呼びます。
ピンチベックをベースに作られたジュエリーは様々ありますが、その中でも特にネックレスは、大変細かな細工が施された物も多く、まさに神がかった完成度を誇るといえます。
また、死者を悼むモーニングジュエリーにもピンチベックは多用され、骸骨をデザインしたリング、遺髪を編み込んだブローチやロケットもその好例と言えるでしょう。
他にも、カメオのフレーム、ベルトのバックル、刀剣の柄、ボタンや印章などにも見られますが、これらは一般的に安価なガラスペーストやイミテーションパールなどと一緒に制作され、安価で販売されていました。
勿論、時計にもピンチベックは多用されています。特に懐中時計や天文時計は品質、人気ともに申し分なく、時計職人であったピンチベックの天文時計はジョージ3世に献上され、現在もバッキンガム宮殿に保管されています。
【検証】なぜピンチベックは宝飾史から、その姿を消したのか?【考察】
ピンチベックがジュエリー制作に利用されていたのは、1730年から1840年頃までです。
前述のとおり、一子相伝にて父から息子にだけ継承されたピンチベックのオリジナル製法や配合レシピ。息子エドワードの死とともに全てが失われ、徐々にジュエリー市場から姿を消していきました。
ここではピンチベックがゴールドに代わる存在として多大な人気を博しながらも、やむなく廃れていったその時代背景と原因について少し掘り下げて考察していきたいと思います。
低品質のイミテーションに悩まされる金合金……
「あぁ、ピンチベックよ。その素晴らしき品質と美徳にあふれた合金は、どこにいってしまったのか?」
コピーにコピーを重ねたピンチベックの偽物で氾濫した時代、ピンチベック一家によるオリジナルを懐かしむ、そんな嘆きの声をアントニー・トロロープ(イギリスの小説家)も残しています。
それだけ本家本元のピンチベックの品質が高かったというわけですが、人気なものには必ず模倣犯がいるわけでして、イギリスだけでも我も続け!と言わんばかりに、それは多くのピンチベックのコピーが作られました。
ゴールドとは異なる加工の容易さ、金に見間違うような柔らかな輝き、そんな理想の合金とあらば、市場に偽物が現れても当然ですよね……。
因みに現在に伝わるピンチベックジュエリーは、オリジナルのものではなく、後世の質がよろしくないものがほとんどです。(それでも業界は、優劣関係なく、全てをひっくるめてピンチベックと呼んでいます。)
せっかく軌道に乗ったビジネスに暗雲が立ち込め、そんな状況に激怒したのが息子エドワード。(当たり前です!)
そしてついには、1733年7月11日付けのデイリーポストに、大変長々とした恨み節満載の抗議文を掲載します。
十分に気持ちが伝わる新聞広告だったと想像できますが、この出来事から、結局どこの世界、どんな時代でもパクリには敏感で、その都度オリジナルは業を煮やすんだということが分かりますよね。
ゴールドラッシュと電気鍍金がピンチベック消滅の決定打になる!(泣)
ジョージアン期という時代は、限られた金でいかにゴージャスなジュエリーを作るのか?が課題になった時代でもありました。
つまりパッと見の美しさ以上に軽いゴールド、これがジョージアン期の金の特徴なんですね。
そんなジョージアン期の金不足解消にピンチベックも大きな役割を果たしましたが、19世紀に入ると、まずはゴールドラッシュの到来(1820年~)で金がうるおい、さらには電気鍍金法がイギリスで考案され(1839年)、ピンチベックはすっかりその影を潜めてしまいます。
特に、ゴールドラッシュ以降、9Kの低品質ゴールドが登場すると、必然的にピンチベックの出番なし!ということで約110年に渡る歴史に終止符を打たざるを得ない状況になってしまったといえるでしょう。
ちなみにピンチベックはピンチベック家による専売特許としての価値、そして宝飾史の中でも特異な存在感を見せた合金ですが、アンティークジュエリー市場ではメタルスライム並みのレア度を誇ります。
欲しくても手に入らない、探そうにも見つからない!そんな玄人向けの眉唾アイテムこそが、ピンチベックジュエリーなのです。
まとめ
今回は失われた金属ピンチベックについてお話してみました。
現在ピンチベックの佳作を手にする機会はほとんどありませんが、オリジナルのピンチベックはゴールドと同等の輝き、美しさを誇り、非常に手の込んだ細工がされた一級品!
たかがイミテーションゴールドでは終わらない、アンティークジュエリーの深く味わい深い世界がピンチベック作品には詰まっているのです。
もしアンティークのピンチベックを目にする機会があれば、ぜひそのクラフトマンシップと職人一家が築き上げた歴史の一部に想いを馳せながら、その美しさに酔ってみてくださいね!
カラッツ編集部 監修