このまるで絵画のような芸術的な宝石をご存知でしょうか。
ピクチャーアゲートやピクチャーメノウ
ランドスケープアゲート
などと呼ばれています。
実はこの宝石、多くは人間の手によって染め上げられ誕生します。
染めると言っても、布や紙を染めるのとはまた違い、鉱物を染めるための特殊な薬液と道具、知識などが必要で、現在日本でこの技術が扱えるのは唯一人、美馬貴石代表の井口泰宏氏だけといわれています。
井口氏は、お父様より受け継いだこの着色(染色)処理技術を発展させた方としても業界内で広く知られ、唯一無二の模様をもったこの美しい宝石たちを日々作り出しています。
着色処理や染色処理と聞くと、宝石の価値を下げるものと捉えられがちですが、実は一概にそうとは言い切れません。
そういう処理があることも事実ですが、それだけではなく、自然界によって育まれる鉱物に寄り添った染め方もあり、カルセドニーやアゲートの着色処理は主にそちらの手法が使われています。
他の着色処理とどう違うのか、その歴史や価値に与える影響など、カルセドニーやアゲートにおける着色処理について、美馬貴石さんに色々聞いてきましたので、ぜひご一読ください!
▼同日に取材したピクチャーアゲートについての別記事もあります。併せてお楽しみください。
目次
美馬貴石とは
まず最初に、美馬貴石さんについて軽くご紹介します。
美馬貴石さんは、宝石・ジュエリーの街として知られる山梨県甲府市に本社を置く会社です。
今回お話を伺った井口泰宏氏で三代目となり、2021年に創業100年を迎えられた、長い歴史をもちます。
画像提供:美馬貴石
ちなみに、「美馬貴石」という名前は、先代の井口美一氏が名付けたもの。馬好きだったこととご自身の名前の1字を組み合わせ「美馬」にしたそうです。
初代の頃からカルセドニーやアゲートの染色に携わっており、長い間この技術を支え守ってきた会社のひとつと言えます。
着色処理は悪いこと?価値を下げる?
冒頭でも触れましたが、「着色処理」や「染色処理」と聞くと、何となく悪いイメージを持つ方もいるかもしれません。
人間が色を作り上げ、自然美を壊してしまうイメージが強いせいでしょうか。
かつては私もそうでした。
しかし、詳しいお話を伺ってみると、カルセドニーやアゲートにおける着色処理は私が持っていたイメージを覆す、自然界に寄り添った手法でした。
アゲートについて
処理についてのお話をする前に、アゲートという鉱物について少しだけ説明させてください。
和名でメノウ(瑪瑙)と呼ばれるアゲートは、多結晶質のクォーツ=カルセドニーの一種です。
目に見えない微細なクォーツの結晶が集まって固まり出来上がる鉱物で、主に縞模様をもつカルセドニーのことを「アゲート(メノウ)」と呼びます。
世界的に見ても、カルセドニーやアゲートの着色(染色)処理は一般的に行われており、特に色が濃いものは、ほぼ処理が施されていると思って良いとのことです。
▶カルセドニーやアゲートについてより詳しく知りたい方は詳細記事をご参照ください。
アゲートにおける着色処理
カルセドニーやアゲートにおける着色(染色)処理の方法は実は一つではありません。安価なものだとただインクを染み込ませているだけのものもあるそうです。
美馬貴石さんの場合は、特殊な薬液に付けることで染め上げています。
その薬液の中には、クロムや鉄、コバルト、炭素などが入っています。
※薬液によって入る成分は異なります。
勘の良い方はもうお気づきかもしれませんね。
これらの元素は、鉱物の発色元素としても知られるものです。
例えば、コランダムはクロムが入ると赤く発色しルビーとなり、
鉄とチタンが加わることでブルーサファイアが出来上がります。
コバルトスピネルなどコバルトが起因で鮮やかな青色を発色するものもありますね。
同じ元素でも入る鉱物によって発色する色が異なることもあり、例えば、クロムはコランダムに入ると赤ですが、ベリルに入ると緑色を発色しエメラルドになります。
厳密には、コランダムやベリルが発色する作用とは少し異なる感じですが、カルセドニーやアゲートもこれらの成分の作用により色が変わるケースがあり、美馬貴石さんの着色(染色)処理はそれを利用して行っています。
先ほどお伝えしたとおり、カルセドニーやアゲートは多結晶質のクォーツです。目に見えない微細な結晶が集まって出来上がっており、肉眼では見えない小さな隙間が多数あります。
薬液に浸けると、それらの小さな隙間から入った液が鉱物の中に染み渡り、そこに含まれる鉄などの元素が中の成分と混ざり化学変化を起こし、色が変わります。
他鉱物の場合と同様、入る元素によって発色する色も異なり、主に
●赤く染めたい場合 ➾ 鉄
●青く染めたい場合 ➾ コバルト
●緑色や黄色に染めたい場合 ➾ クロム
●白く染めたい場合 ➾ あらいソーダ
●黒く染めたい場合 ➾ 炭素
がそれぞれ入った薬液に浸けます。
含まれる元素の作用によって発色するのは自然界で起きることと同じですので、美馬貴石さんで行っている着色(染色)処理は、自然界がやり残したことを手伝っているとも言えます。
井口氏の言葉を借りれば、その原石が本来もつ色を引き出し、再現するための処理とも言えるのですね。
そう考えると、加熱処理などと近いのかもしれません。
そして、この処理に関しては、現代の鑑別技術を持ってしても、天然の着色なのか、人工的に染めたのかの判別が難しいそうで、カルセドニーやアゲートの鑑別書においては、一般的に「色素による着色処理が行われています」などと書かれることが多いです。
どんな色にも染め上がる?
結論から言うと、
「ノー」
です。それには2つの理由があります。
1.加熱温度の上限による問題
美馬貴石さんが行う着色(染色)処理の条件として
300度以下で色が定着するということが重要です。
例えば、よく「ピンク色」は出せないのか、という質問を受けることがあるそうですが、井口氏が文献などで調べた限り、ピンク色に発色させるためには800度位まで熱する必要があるとのこと。
しかしカルセドニーやアゲートは、300度以上になると割れてしまう性質をもつため、試すこと自体難しいのだそうです。
もしかしたら別の方法もあるかもしれませんが、現状はまだピンク色を再現する方法は見つかっていないとのことでした。
2.原石や薬液による発色の違い
一口に「鉄」と言っても、鉄にも様々な種類があり、入れる鉄の種類や状態などによっても出る色が変わります。
それゆえ、様々な赤色を作ることが可能なのですが、血のような真紅の色合いについては、未だ成功できていないといいます。
天然にある色であれば、恐らく出せるはずとのことですが、鉄もクロムもコバルトもそれぞれに多くの種類があり、組み合わせで考えると何百通り以上もあるような状況。
こういう色を出したい、と思っても、そんな途方もない数の組み合わせの中から、正解を見つけるのは至難の技。思うような色を必ずしも出せるとは限らないのです。
しかも、原石にどんな成分が入っているかによっても色は変わりますので、自然の摂理を知り尽くさなければ、完全に再現することは難しく、技術が発達した今でもどうしても出しきれない色が多くあるということですね。
稀に、ピンクなど鮮やかで明るい色に染められたカルセドニーやアゲートを見かけることもありますが、それらは恐らく、インクなどで染められたものではないかとのこと。
美馬貴石さんのように中から色の変化を促しているものでない場合、時間とともに色褪せてしまう恐れもありますので、心配な方は購入時にお店の方に聞いてみた方が安心かもしれません。
着色処理と着色コーティング処理の違い
画像:左-カルセドニー(染色) 右-ミスティックトパーズ(コーティング)
宝石を色々調べたり、鑑別書などを見ていると、「着色コーティング」や「蒸着処理」といった言葉を目や耳にすることがあると思います。
こちらも人工的に色を付ける方法の一つなのですが、カルセドニー(アゲート)における着色(染色)処理とは方法も見え方も大きく違います。
具体的に何が違うのでしょうか。
※以降、カルセドニー(アゲート)における着色(染色)処理⇒着色(染色)、着色コーティング処理(蒸着処理)⇒コーティングと記載します。
その1.色の付け方
着色(染色) | 薬液を中に浸透させることで化学変化を起こさせ、中から色を変える |
コーティング | 宝石の周りを着色剤でコーティングして見た目の色を変える |
その2.発色する色や種類、色の出方
着色(染色) | 出したい色によって薬液を分ける必要がある。同じ薬液につけても個体差で発色する色合いや濃さなどが変わるため、色を完全にコントロールするのは難しい |
コーティング | 表面に色を吹き付けるため、比較的好きな色を付けやすい |
その3.価値への影響
着色(染色) | 一般的に行われている、かつ、人工処理か天然かを見分けることが難しいため、処理の有無が価値を著しく下げることは少ない |
コーティング | 処理の有無が価値を著しく下げる場合が多い |
その4.経年劣化の有無
着色(染色) | 薬液に浸けて色を変化させた後、加熱処理を施し安定させているため、時間の経過で色褪せることは少ない |
コーティング | 表面に色コーティングしている状態のため、時間の経過や摩擦などで表面の一部が剥げてしまうことがある |
一見同じように見えても、書き分けてみると結構大きな違いがあるものですね!
アゲート(カルセドニー)における着色(染色)処理の歴史と世界の現状
井口氏いわく、カルセドニーやアゲートにおける着色(染色)処理は、日本ではおそらく戦後くらいに始まったのではないかとのこと。
発祥の地などは不明で、詳しいことは正直よく分からないそうです。
井口美一氏が発見。世界初の技術とは
戦後少し経つ頃、家業を継ぐことを決め、着色(染色)処理の仕事を始めた美馬貴石・前代表の井口美一氏。
ある時、ただ日々の仕事をこなすのでなく、何か後世に残せるものを生み出したい、という思いが芽生え、カフスボタン用に使われることが多かった赤瑪瑙に着目します。
当時(昭和30年頃)の日本は、高度経済成長期に入り、人々の生活が潤い始めた頃。赤瑪瑙を使った製品も多く出回り、需要はあるものの、天然で色の濃いものが少なく、多くは着色処理が施されたものでした。
しかし、当時の技術では原石の半分程を染めるのがやっとで、色ムラも激しく、手間が掛かる割に使える部分が少なく、結果無駄が多い状態。
その状況を打破すべく、原石全体を均等に赤く染め上げるための研究を始め、ある日ついに、その方法を探し当てます。
それまで誰も成し遂げられなかった、世界初の快挙でした。
その後、美一氏によって世界中に普及されたこの手法は、現在世界各国で広く使われています。
技術発展と広がる可能性
先代・井口美一氏によって発見された赤一色に染め上げる技法を更に発展させたのが、現代表の泰宏氏。
原石によって色の付き易さが異なることに着目し、試行錯誤の末、五色の染め分けに成功します。
その結果、風景画のように見えるピクチャーアゲート(ピクチャーメノウ、ランドスケープアゲート)を数多く生み出せるようになりました。
世界の現状
アゲートを使ったカメオ彫刻の本場と言えばドイツ。
ドイツでもカルセドニーやアゲートの着色(染色)処理は盛んに行われています。
ドイツと日本で一番大きく違うのは、原石の質。
ドイツは、美しいカルセドニーやアゲートが多く産出されることで知られるブラジルの鉱山と太いパイプで繋がっており、良質な原石は優先的にドイツに流れる傾向にあるとか。
ドイツで出回るような良質の原石を日本人が手に入れることは非常に難しいため、染め上がりの色や処理方法などにも違いが出ます。
また、ドイツの場合、一色染めやカメオ用の二色染めが主流で、美馬貴石さんのように複数色に染め上げることは少ないそうです。
ドイツ以外では、インドや中国でも盛んに行われています。
カルセドニーやアゲートの着色(染色)処理方法
画像:美馬貴石 Xより
実際にカルセドニーやアゲートの着色(染色)処理がどのような工程を経て出来上がるのか、簡単に順を追って説明します。
より詳しい工程とドイツとの手法の違いなどについては、ピクチャーアゲートについて書いた別記事の方でご紹介していますので、そちらをぜひご参照ください。
1.ひき割り
アゲート(メノウ)の塊を機械を使って、薄い板状(スライス状)に切ります。
2.型取り、3.平面研磨
ピクチャーアゲートの場合は、全面的には使わないことが多いため、スライスした原石のどの部分を使うか決めて、小さくカットします。
その後、カボションカットなどにするため、平面研磨を施します。
オニキスなどの一色染めの場合は、全面的に使うことも多いため、この工程は飛ばします。
4.着色(染色)
染め上げたい色に合わせた薬液に浸けます。
画像:オニキスを染めているところ
5.焼付け(加熱処理)
染め上がったカルセドニー(アゲート)の色を安定させるため、加熱処理を施します。
特殊な加熱装置の中に石を入れ、300度で加熱します。染めた後加熱を施すことで、染料を石に定着させることができ、月日の経過とともに簡単に色褪せることを防ぎます。
6.バレル研磨(仕上げ磨き)
仕上げにバレルで研磨し、表面に光沢を与えます。
最後に
カルセドニーやアゲートにおける着色(染色)処理について、美馬貴石・井口泰宏氏から伺ったお話をご紹介しました。
カルセドニーやアゲートにおける着色(染色)処理は自然界で起きることを手助けするようなものであり、人間が一から染め上げた物ではないと分かり、私は正直見方が大きく変わりました。
天然未処理の自然美も素晴らしいですが、人間にしか出せない色合いや技術により美しさを増すものもあります。
人間が処理を施したもの=天然物を傷つけるもの、悪いこと。と決めつけず、それも踏まえた美しさを楽しめられたら良いのだと思います。
井口泰宏氏と言えば、ピクチャーアゲート(ピクチャーメノウ、ランドスケープアゲート)に新たな可能性を見出し、美しさを向上させた第一人者です。
ピクチャーアゲートについても詳しいお話を伺い別記事にまとめています。
ピクチャーアゲートの作り方、ドイツで行われる着色処理方法やカメオとの染め方の違い、いずれなくなる危機についてなど、ぜひ併せてお読みいただけたら幸いです。
カラッツ編集部 監修